義父から学んだ「面白ければ何を言ってもいい」|ゴニョ研
ガッツかよめです。
結婚すると、今まで知らなかった相手の家族と急につながらなければいけません。そこには、今まで経験したことがないような家族の形があるかもしれません。今回は、そんなお話をお届けします。
病院に連れて行くべきか、行かざるべきか
夫の父は、どちらかと言うと自己中心的で、家族のために骨身を惜しまず働くというタイプではありませんでした。
漁師だったころは毎日飲んだくれていた、とも聞いています。
小学生の時、めったにひかない風邪をひいて学校を休んだんだ。
その時、親父は寝転がってテレビを見ていたんで、「熱が39度以上あって体がだるい」と訴えたら、なんと、親父は寝っころがったまま振り向きもせず「医者行って来い」と言った。びっくりしたなあ。
あの時、風邪なんか気力で治さねばいかん、問題は自分で解決できるようにならなきゃいかん、と思ったよ。
子供の自立心を育てるのは、とても大変な作業ですよね。その基本的な部分を「医者行って来い」の一言でやってのけた義父は、すごい人だと思います。
面白ければ、何を言っても許されるのか?
義父は、にぎやかなこと、面白いこと、楽しいことが大好きでした。
夫の回想2
小学校の頃、成績がひどく悪くてねえ。通知表は1がいっぱいあった。親に通知表を見せるのが本当に嫌だった。しかし、親父は「お前の通知表、イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サンって体操みたいだな」といって喜んでた。
笑っているのが、逆に怖かったなあ。
中学生になって少しは勉強が好きになり、深夜に勉強していると、「そんなに勉強して、舞阪灯台に行くだか?」などと、つまらない冗談を言ってきた。
…この時、親父は面白ければなんでも許されると思っている、ということがわかり、すべてがつながった気がした。
私たち家族が里帰りして、まだ幼児だった娘と三人で花火をした時のことです。その日は風が強くて花火に火がつかず、娘がぐずり始めていました。
家の中から様子をうかがっていた義父は、「ちょっと待ってろよ」と言うと、ステテコ姿のまま玄関先に現れ、段ボールの空き箱をついたてにして風をさえぎってくれました。
娘は、花火ができて上機嫌。
ジイジにお礼を言うと、義父はこれ以上は崩れないというほど、しわくちゃな笑顔になりました。
義父からのステキな贈り物
ある小春日和、私たちの家に、義父が大きな箱いっぱいの生牡蠣を持ってきてくれたことがあります。
義母が手伝って箱をほどき、元漁師の義父は、見事な手さばきで次々に牡蠣の殻を開け、レモンをさっとかけて、手際よくふるまってくれました。見るからに新鮮で、身はきれいな乳白色。頬張ると、磯の香りが口の中いっぱいに広がり、独特の歯ごたえとほろ苦さがありました。
「うまかっただか?」
生きていてよかった、と思うほどおいしかった。
そこには、あの花火の日と同じ、しわくちゃな笑顔になった義父がいました。
面白いもの好きは遺伝する?
娘が高校生の頃、学校の先生から1本の電話がありました。
「娘さんが、しばらく学校に来ていません。どうかされたんですか?」
「え!行ってないんですか?」
私も夫も朝が早いので、娘が学校に行くのを見届けてはいませんでした。
いじめにでもあっているのだろうか?
不安を胸に、なぜ学校に行っていなかったか聞くと
「だるかったから」などと、ふざけたことを言うではありませんか。
でも、夫はその答えに満足したようです。
あとで私に「“だるかったから”は、面白かったな」と何度も言って、喜んでいました。
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