[爆笑]専業主婦だけど働きたい! でも不安…ならこの裏技で!|ゴニョ研
こんにちは
ガッツかよめです。
この前、女性の働きづらさについて、娘と話していたんですよ。
もう30年以上前、結婚したので国民年金関係の住所や名前の変更をしに、役所に行った時のこと、窓口の男性が
「あんた、よっぽど稼がないと、かえって損になるんだから、働くのなんてやめたほうがいい」
と言ったんです。
その話をしたときの、娘の反応に私は本当に驚きました。
えーっ??
なんでそんなに世の中変わってないんだろ?
ということは、私が育児と仕事との両立に挫折して専業主婦になり、その後、すったもんだして働き出すまでの笑い話も、皆さんの参考になるかも。
そう思って、ずいぶん昔の話ではありますが、ご紹介させていただきます。
子育て専業主婦としての生活の始まり
私は21歳から音楽教室の講師をしていて、24歳で結婚しました。
当時は、結婚について「女性はクリスマスケーキ」なんて話があったんですよ。
つまりね、24日と25日が売り時で、それを過ぎたら売れないクリスマスケーキと同じで、女性は価値があるのは24,5歳までで、それを過ぎたら叩き売りだというわけです。
私は仕事もおもしろかったし、結婚なんてどうでもよかったんですが、夫が「結婚してくれなかったら死んだ方がマシだ」と泣くので、しかたなく結婚したのです。
出産後も産休明けから働いていましたが、仕事が終わるのは夜8時、帰宅すると9時というような状態でした。
そのころの夫の仕事は3交代勤務で、私が仕事中の娘のことは全て私の母任せでした。
独居の母とは同じマンションに住んでいたので、とても恵まれた環境だったはずです。
しかし、それでも私はとても苦しかった。私のしていた音楽教室の講師は、現場で生徒さんと会う前のレッスンの準備や、自分のスキルアップも欠かせない仕事でしたが、育児や家事に押されて、その時間が確保できなくなっていたのです。
そのうちに母が体調をくずし、私も仕事に行き詰まりを感じ、復帰1年ほどで仕事をやめました。
で、私は専業主婦になったんですが、働いていたときより自由な時間が減りました。
仕事中って、忙しくてもちょっと暇になる時間があるじゃないですか?
通勤電車の中だって、ちょっと好きな本を読んだりできる。
でも育児って、子どもから解放される時間が全くない!!
そして下手すれば子どもを殺すわけで、めちゃくちゃ責任重大ですよ。
子どもは、トイレに行った私を泣きながら呼びに来たり、数分新聞を読んでいても人の読んでいる新聞を破ったりするんです。
発達の過程であり、ずっと続くわけではないとわかっていても、ほんの少しでいいから一人の時間が欲しいと思ったものです。
専業主婦は辛い! なんでもいいから仕事がしたいっ!!
夫は配置転換で日勤になりましたが、超多忙で、休みの日以外は家事や育児に全く携わることができませんでした。
それどころか、夫の会社の男性社員のほとんどは専業主婦の妻をもち、一家で会社に尽くすみたいな風潮さえありました。
私は一生続けるつもりの仕事をやめたことで自己嫌悪にさいなまれ、社会から取り残されたような気がして孤独でした。
友達はみな、まだ未婚でバリバリ働いている人ばかり。
私だけが、なぜ1日中家の中で、離乳食を顔に吹き出されたり、1箱全部引き出されたティッシュを始末したりしていないといけないのかと、毎日ゆううつでした。
娘と二人きりでいると息苦しく、育児サークルなどにも入りましたが、元来内向的な私は、うまく溶け込めなかったのです。
ほんの少しでもいいから外で働きたいと、週に2回2,3時間、母校の短大の社会人セミナーの手伝いをする短期の仕事を始めました。
そのセミナーの受講生だった放送局の管理職とかいう肩書の女性が私に言った言葉を、今でもよく覚えています。
「外で働きたいなら、早く働いたほうがいい。40代になると夫は昇進して、専業主婦とは話も合わなくなる」
偏見に満ち満ちとるな!
今思えば本当にそうなんです。
あまりの偏見に開いた口がふさがらないですよ。
専業主婦だって有意義な仕事ですし、高い見識や優れた技能を持った人もいます。読書もしない中年会社員より読書家の専業主婦の方が、よっぽど世の中の動きも知っているのではないでしょうか?
当時の私はアホだったので、そのオバハンの言葉を真に受けて、さらに焦りが募り、血眼で仕事を探しました。
そしてなんとか見つけたのは、リサイクルを推進する市民団体での事務的なパートの仕事。
なんかね、まだ長時間働くのも不安だったんだよね〜。
「保育園って大丈夫なのかな」なんて気持ちもあったし、自分に自信もなかった。
なにっ?! ソクラテス、お前もか?
夫の仕事は、ますます多忙を極めていました。
真夜中に帰宅した夫に向かって「素泊まりですか?」と聞いてしまい、大喧嘩になったりする始末です。
ところがある朝、夫が言うのです。
「おれ、仕事に行くのやめるわ」
私は、このところ夫は忙しすぎたから、1日くらい休むべきだと思い、「好きにすればいいよ」と言ったら、なんと夫はそれからずっと仕事に行きませんでした。
さすがに上司が家にやってきました。
いろいろ型どおりの慰留作戦を繰り広げても夫が「辞める」の一点張りなので、上司はとうとう
「会社をやめたら子どもにきれいな服が買えなくなる」
と言い出しました。
まあ、これには今でも笑えます。
働きたい専業主婦の裏技! 夫の退職金でGO!
夫が15年も勤めた会社をやめたので、退職金という大金が我が家に転がり込んできました。
そこで私は、とっておきのアイデアを思いついたのです。
夫の退職金で私が学校に行けば、スキルアップしてから社会復帰できる!
そうです!!
保育園は「就労を目的とした通学」でも利用できるんです!
学生時代の友人がついていた言語聴覚士(げんごちょうかくし:嚥下障害や言語障害の人のリハビリを担当する)という職業が気になっていた私は、その養成校が通学圏内にあることを告げて、夫に学校に行かせて欲しいと頼みました。
「いいよ」
と夫は即答するではありませんか?!
学費はいくらかかるのか、就職できるのか、どんな職業なのか、何も聞かれた覚えがないのです。
多分、夫は何も考えていなかったのだと思います。
ガッツが覚えてないだけ!!
29歳の1年生! 主婦学生は楽しすぎ!
夫はリサイクル関係の会社に就職し、私は入学試験に合格して学校に通うことになりました。
娘も保育園に通うことになりました。
始めのうちは緊張のあまり一人で部屋の隅にうずくまっていたそうですが、優しい保育士さんに見守られ、数ヶ月もすると、迎えに行っても帰りたくないと駄々をこねるほど、保育園大好きっ子になりました。
短大のとき、ほとんど勉強していなかった私ですが、久しぶりの勉強は楽しくて楽しくてたまりませんでした。
でもまあ、電子工学の授業は意味も分からず先生の板書を丸写していましたし、解剖学の授業では目にも止まらぬ速さで解剖図を書く先生のスピードにとても着いていけず、自分のノートが全く解読できませんでしたが。
でも学生はみんな私よりずっと年下だし、先生だって年下。
私は一気に若返った気分でした。
キャンプやオープンキャンパスなどの行事へは娘も連れて行き、級友には私は「ママちゃん」と呼ばれていました。
クラスで子持ちは私だけでしたが、実習は県内施設にするなど配慮していただいて、恩師にも友達にも恵まれ、人生で最も充実した学生生活を送ることができました。
そして学校は仕事よりも拘束時間が短いし、まとまった休みもあるんです。
夏休みなどは思い切り勉強し、ちょっとだけアルバイトもしました。
そして、娘が病気になったりしたときも、仕事に比べれば学校はずっと休みやすいので助かりました。
主婦学生一家は貧乏すぎ
学校生活の難点は支出が莫大で収入がないことです。
専業主婦のときも、自分の稼ぎがなくなって寂しいと思いましたが、学生になったら学費という多額の出費があるので、「寂しい」どころの騒ぎではありません。
マンションのローンもあり、転職した夫の収入は半減。
我が家は保育料減免すれすれの低所得になり、私が中高短大で受けていた奨学金の返済は就職するまで待ってもらうことにしました。
それでも苦しかったので、学校へは雨降りでもカッパを着て、30分かけて自転車で通いました。
私の美容院は激安店にかえ、娘の洋服はいとこのお古、夫と私の服はフリーマーケットや保育園のバザーで調達しました。
なんと、夫の元上司の「娘にきれいな服が買えなくなる」という予言が、現実になったのです。でも、おそらく元上司が予想していなかっただろうと思うのは、娘はお古が大好きで友達にも自慢していたことでした。
学校の授業はとても難しく、実習は厳しく、3週間連日深夜2時までレポートを書いたこともありました。
が、夫は常に協力的で、テスト期間中は私の勉強時間を確保するために娘を連れ出してくれたり、なんといっても毎日定時に帰って家事もバリバリこなしてくれました。
3年なんて本当にあっという間で、すぐに就職活動の時期がきました。
いやあ、私って本当に無謀だったと思うんですけど、このとき、言語聴覚士はまだ国家資格じゃなかったんですね。
学校に全国から来る求人の数は、卒業生の数より少ないほどでした。
通勤圏外へ就職できず、公務員は年齢制限で応募できない私にとって、チャンスはないも同然。
今思えば、本当に的外れですが、電話帳で調べた病院へ片っ端から電話してみたり、患者団体へボランティアに行って言語聴覚士にすり寄ってみたり…。
あらゆる手を使って、なんとか非常勤の就職口を見つけ、ギリギリで私は就職することができました。
私は32歳の社会人1年生!
娘もこの年、小学1年生になりました。
32歳で社会復帰! 専門職は辛いけど楽しい!
非常勤とはいえ専門職。
しかも当時の言語聴覚士は一人職場が多く、仕事を教えてくれる先輩はいません。
右も左も分からず迷うことばかりで、母校で先生をつかまえて教えてもらったり、本を漁ったり、仕事をしている時間より準備の時間の方がずっと多いほどでした。
非常勤だったので、常勤になりたくて就職活動も続け、次の年には常勤の口も見つかりました。
子育てとの両立は大変でしたが、夫はずっと協力的でしたし、夫の退職金を投じて3年も学校に行って得た仕事なので、簡単に投げ出すわけにはいきませんでした。
専業主婦で働きたいけど不安なら学生になるのもおすすめ
専業主婦って働きたいと思っても、不安ですよね。
職探しはうまく行くのか、子育てと仕事は両立できるか、ブランクのある自分は社会で通用するのか。
悩むことばかり。
もし憧れの職業や、興味のある資格などがあるなら、もちろんよく調べてから、学校へ行くのも手です。
大きな出費はありますが、私の場合は勤め始めて2年ほどで、収入の累積が学費の出費を超えました。学費はかかっても、教育を受けた分、初任給や昇給率の高い仕事を得ることができれば、1,2年で元が取れるのです。
私は20年以上言語聴覚士として働き、「なんちゃって〜」という感じでしたが管理職にもなり、それなりに貯金もできました。
実は入学する前、私が学校へ行くつもりだと話したら、「あなたのご主人はあなたのことを娘だと思っているのかしら?」と言った知り合いがいて、私は本当に落ち込みました。
もし、私があのとき学校へ行くのをやめていたら、私は専門的な仕事を得ることはできず、貯金も少なかったことでしょう。
勉強と育児の両立は大変ですが、夫婦で助け合えば何とかなるものです。むしろ、話し合ったり協力したりする時間が増えることで、夫婦関係にとってもプラスだったと思います。私の場合、学費を出し勉強に協力し、家事も担ってくれた夫には感謝してもしきれません。
子育てのために仕事をあきらめると、挫折感はあるし将来も不安だし、毎日が暗くなってしまったり…。でも、子育ては、それ自体が大きな楽しみでもありますし、子育ての経験は人生にとって大きなプラスです。
また、子育て期間は、うまく利用すればキャリアアップのチャンスにもなります。
ぜひ、前向きに考えて、子育てもご自分の人生も楽しんでください。
私ももっと楽しまなくちゃ!
そして、専業主婦だって、本当に価値ある生き方だと私は思うんです。
女性を取り巻く社会情勢を振り返りながら、そんなお話をした、50代専業主婦は何してる? 偏見をけっとばして明るく生きてます!も、よろしかったらぜひご参考に。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
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