親不孝な娘だった私…でも親孝行ってなんだろう?|ゴニョ研

2018年3月13日笑える小話と家族のエッセイ

私って親不孝な娘だったのかも…

こんにちは。ガッツかよめです。

みなさんは、親孝行してますか?
ご自分のことを親不孝だと思うことはないですか?

先日、夫の母が亡くなりました。89歳でした。

なんか暗い話になっちゃうんですが、一昨年には私の母が85歳で急死し、夫の父は10年ほど前に、私の父は私が12歳の時に亡くなったので、もう、私には親と呼べる人が、誰もいなくなってしまいました。

そうなんです。

もう、親孝行できないんです。

そうして過去を振り返って、本当に思うことは…。

私って親不孝だったんじゃないか?

ということです。

そして、迫りくる自分の老後をもイメージして、

私が親の立場になって思うことも含め、

親孝行ってなんだろう?

と考えます。

日本の高齢者は現在の生活に満足している人が少ない??

親孝行って、やっぱり親が喜ぶことをすることでしょうか?
でもね、自分の実の親のことだって、よく分かってなかったりするんです。

 内閣府が平成27年度に60歳以上の人に行った調査では、生きがいを感じるのはどんな時かという質問に、「子供や孫など家族との団らんの時」と答えた人が、日本では46.9%と最も多い回答となった。この回答が最多であるのは、調査を行った4か国に共通しており、その割合はアメリカ 68.7%、ドイツ 69.4%、スウェーデン 79.2%である。
一方、「現在の生活に満足しているか」の質問に対しては、「満足している」と答えた人は日本30.7%、アメリカ71.1%、ドイツ50.6%、スウェーデン61.0%であり、日本は4国中最低である。
そして、「別居している子供を持つ高齢者が、別居している子供と会ったり、電話等で連絡をとったりしている頻度」においては、「ほとんど毎日」は日本20.3%、アメリカ42.9%%、ドイツ24.8%、スウェーデン30%で、日本が最も低い。


<別居している子供を持つ高齢者が、別居している子供と会ったり、電話等で連絡をとったりしている頻度(%)、(下記の調査から抜粋して筆者作成)>
平成27年度 第8回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果

つまり、

  • 家族とのだんらんが生きがいと感じる高齢者は、各国共通に多い。
  • 別居している家族との交流の頻度は、日本は他の国に比しやや低い。
  • 現在の生活を満足と感じる人の割合は、日本は他の国に比しやや低い。

ということでしょうか?

日本の高齢者が現在の生活への満足度が低いのは、ひょっとすると家族とのコミュニケーションの機会が少ないことに関連している???

親が子どもに会いたいと思っていて、子どもが親に会おうとしないなら、親不孝と言えるかもしれません。

もちろん、これは推察にすぎませんが。

それに、私がもうひとつ思うのは、そのコミュニケーションの中身です。

責任感が強い娘が親孝行とは限らない

数年前に義父が亡くなってから、実母も義母も一人暮らしになりました。

どちらの母も肉体的には比較的元気でした。

私の母は私の家のすぐ近くに1人で住み、
実母はとても寂しがり屋。
いつも私に会いたがっていました。

義母は車で3時間半くらいの所に住んでいました。
生まれてからずっと地元を離れたことがない人でした。
認知症の症状が出始めましたが、転居を強く拒否。
ヘルパーさんやデイサービスを利用しながら一人暮らしをしていました。

どちらの家も、ガスをやめてIHにしたり、
お風呂などを点検して手すりをつけたり、
受診につきそって服薬を管理したり、

ヘルパーやケアマネージャーの方と話したり、
食事を作り置きしたり…。

行動や理解の遅い母に何度も説明したり、
じっと待ったり…。

まだ一人暮らしがなんとかできる母たちへのケアは、本格的な介護ではなく日常生活の援助でした。
それは、親を喜ばせようというより、「自分のリスク管理」だったような気がするのです。
つまり、老いた親が病気になったりケガをしたり詐欺にあったりすると、自分が大変だから、予防線を張っていたということです。

もちろん、これは悪いことではないですし親のためにもなっていたのでしょうが、自分本位だったかもしれません。
つまり私は、「親になにかしてあげたい」というより、「子どもとしての義務を果たしたい」、もっというと「将来の手間を最小限に食い止めたい」と思っていたのだと思います。

ついイライラして親を叱ってしまう親不孝な娘

そして、親と呼べる人が一人もいなくなった今、私が最も悔やんでいるのは、よく親を怒ってしまったことです。
そんなに強く言う必要のないことまで、語気を荒げて責めていました。

  • 薬を飲み忘れる
  • 冷蔵庫の中身を整理しない
  • 運動をしない
  • 出かけずに家にばかりいる
  • ディサービスに行くのを渋る
  • 食費や光熱費を節約しすぎる

今考えると、責めたりする必要は何一つなく、理由を聞いて、一緒に対策を考えるべきでした。
もちろん私は、私なりの対策を考え実行はしましたが、母からの聴き取りが不十分だったために、的外れなものだったかもしれません。

私は特に、一人暮らしの実母に対して、最もイライラしていました。
一生懸命育てた娘に叱られて、母はつらく悲しい思いをしていたでしょう。

なぜそんなにイライラしていたかというと、理由はいくつか考えられます。

1つめには、兄弟のこと。
私には姉がいます。

しかし姉は海外在住で母のことは私に任せきりでした。

2つめには、時期的なこと。
親への援助が必要になった時期は、ちょうど、自分の仕事も多忙で、ストレスフルな時期でした。

そして私自身、更年期障害にも差し掛かって体調も万全ではありませんでした。

3つめには、私自身の母への依存心。
今まで、母は私の悩みを聞いてくれたり疲れを癒したりしてくれた。
母に頼れなくなって、私ははけ口をなくしたのです。

私は、

「こんなにやってあげているのに何も報われない」

なんていう見当違いな被害者意識を持っていたのでしょう。

でも、私が「頑張らなくては」とも思っていました。

夫や娘もいろいろなことをやってくれていたのですが。

親孝行したいけど親を楽しませるのは難しい

そんな私だけれど、母を喜ばせたいとか、
楽しいと思うことをしてもらいたいとか、
そういう気持ちになったこともあったんです。

でも難しい。

だいたい、親に欲しい物とか行きたいところとか、
聞いたって、まともな返事が返ってこないんですよね。
母は「贅沢は敵」と辛抱してきた世代なので、

「なにもいらない」

とか、

「どこにも行かなくていい」

とか言うんですね。

そりゃ遠慮もあったのでしょうが。

一度など、義母を誘って、夫と3人で近場の日帰り温泉に一緒に行って、そこそこなお昼ご飯を食べたんです。

でも、その間、義母がずーっと仏頂面で、あまり話もせず、

「私たちは何のためにここに来たのかしら」

って思ったものです。

親孝行したいと思ったけど、全く楽しそうではない母を引きずり回しているのは、疲れるだけで、かえって親不孝なのかしらと思ったほどでした。

ほんと、親孝行って難しい!!

親が喜んでいる時ってどんな時?

「こどもとしての責任」と私が思っていた、
受診の付添や介護保険の手続きなどは、
確かに、やらねばならないことでした。

でもそれはきっと、母が一番にやってほしいことではなかったのだと思うのです。

義母は40代の時に義父が脳梗塞になって、それから教育盛りの二人の息子のために必死で働いた人でした。

「わたしゃ、どんな重い荷でも持っただよ。ほんとに男勝りに働いた」

「わたしの方が男だったら良かっただって、よう、人に言われただもの」
そんな話をする時の義母は不思議と生き生きとしていました。

実母は料理を作るのが大好き。
私に手料理を食べさせている時が一番幸せそうでした。

あれもあった、これもあった、と冷蔵庫から出してきて、テーブルいっぱいの料理を私に食べろ食べろと勧めます。

「これ、ちょっとおいしくできたと思うの。食べてみて」

などと野菜の煮物を指さしたりする母は、ちょっと自慢げでした。

ゆっくり話を聞いて、たわいもないおしゃべりをして。

今考えると、数少ないそんな機会が、両方の母が一番楽しそうな時でした。

そうしてみると冒頭でご紹介した内閣府の調査結果も案外的確に高齢者の気持ちを反映しているのかもしれません。

家族とのコミュニケーションが親の幸せなら、

「なるべくこまめに顔を見せ、出来る範囲で話を聞いて、優しい言葉をかける」

やっぱり、これが一番の親孝行です。

親不孝な娘にどうかもう一度チャンスを!

そして、私は、気がついたのです。

私は最近、しっかり者のアラサー娘から叱り飛ばされることが多くなってきました。

今でこそ、まだ私は娘とそこそこ互角に戦えます。
でも、あと20年たったら、きっと私の立場が格段に弱くなっている。
今でもおぼつかないのに、年とって機能が低下したら、もっと娘から叱り飛ばされるでしょう。

「どうして、これやりっぱなしなの?」
「ちょっと、この手続き、もう締切じゃないの? どうしてやっておかないの?」
「どうして冷蔵庫の中に同じものがいくつもあるの?」

娘は本当にしっかり者です。

「やらねばならないこと」は、かっちりやってくれることでしょう。

でも会うたびにこんな風に叱られたら、どんなに悲しく切ないことでしょう。

それを考えると夜も眠れません。

そして、さんざん母を叱ってしまった私だから、私と同じ行動パターンをとる娘を責められません。

人生はなんて残酷なんでしょう?!

だから、私は思うのです。

神様、親不孝者の私に、もう一度だけチャンスをください。

そうしたら、もっと母の話をよく聴いて、いつも機嫌よく、それが無理ならせめてイライラを顔に出さず、決して母の自尊心を傷つけたりせずに過ごします。

そして、母の気持ちを第一に考え、「やらねば」と私が思うことを、ちょっと遅らせてでも、他愛もないことをくっちゃべり、冗談を言い、これまでの大変だった母の人生を心からねぎらいます。

ひょっとすると、ちょっと不真面目になって、やらねばならない手続きや介助をサボったり、経済的に困っていない母からちょっとお小遣いをせびったり…。

そんなことをするのが「私がやってあげている」という変なおごりを取り払うのに有効だったかもしれません。

実はこれ、テレビで阿川佐和子さんがおっしゃってました。

だからきっと、私が料理を作らなくちゃと頑張るより、上手く母をおだてて、母がその気になっている時はなるべく母に作ってもらうのが良かったのでしょう。

そして母の料理を思い切りほめてあげたら二人とも幸せだったのに。

このままで行くと私は死ぬまで親不孝な娘で、老いたら親不孝な娘の再生産に立ち会うことになってしまいそうな気がします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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