独り言もうるさい(らしい)!私のマイペース人生|ゴニョ研
ガッツかよめです。
私はとても声が大きく、かなりの早口でしゃべっても呂律が回らない、なんてことも起きません。マンションの9階から竿竹屋のトラックを呼び止め、竿竹屋のおじさんを驚愕させた経験さえあります。
大声は職業病
私が大声になった原因は、20年以上にわたって耳の遠いお年寄り相手の仕事をしてきたせいだと思います。(先日、退職しましたが…)
私の仕事は、お年寄りと「おしゃべり」することが大変重要でした。
90歳以上の人も多かったし、中には、一日のほとんどを寝て過ごす方もいて、そういう方にも起きておしゃべりしてもらうためには、それはもう羞恥心などかなぐり捨て、腹に力をいれて、腹筋と呼気と声帯振動とを思う存分駆使して、人けのないところで賊に会った時くらいの勢いで大声を出さないと、仕事にならないのです。
こうして、日々、声帯と腹筋を鍛えた私は、舞台俳優なみの見事な大声になったわけです。
独り言も大声な私が、スーパーでお買い物
大声は、私の人生に思ったよりも大きな影響を与えました。
独り言も大きいので、スーパーで買い物をすると、こんな感じになってしまいます。
「このキュウリ、ちょっと古そうだわね~。」
「あら、こっちのキュウリも。ってことはキュウリ全滅ぅ~?」
「ということはキュウリの塩モミはやめてぇ」
「ナスはどうかしら、あっ、ナスはいいじゃん。おナスさん、ありがとね~。」
「ありがとうなら芋虫はたち、とくらあ」
なんていう、独り言が全部他人に聞こえてしまい、隣でナスを買っている人が、かごを抱えて、そそくさと遠ざかったりする。
夫による解説
「ありがとうなら芋虫はたち、とくらあ」は、「蟻が十歳なら、(大きさからみて)芋虫は二十歳」の意。露店商の口上が元になっている言葉で、なぜかガッツが好んで多用します。理由はわかりません。「…とくらあ」は江戸言葉。「…ときたもんだ」という用法もよろしいかと思います。
そんなことより、こんな調子で独り言を言われたら、スーパーもたまったものではありませんよね。
ガッツのおしゃべりは騒音レベル
ある日のこと、ピアノのレッスンに行ったところ、ちょっと時間が早すぎたので部屋の前で知り合いとおしゃべりしていると、防音室から先生が出てきて、「レッスン中なので静かにしてください!」とおっしゃられる。
ちょっと待って。防音室ですよね? むちゃくちゃ重たい扉に厚い壁。それなのに、私の声が聞こえる?
呆然とする私に、先生は追い打ちをかけた。
「ガッツさんの声、聞こえるんですよ」
大音量の独り言が、夫婦関係にも暗い影を!
夫婦関係を良好に保とうとして、また相手を傷つけまいとして、本音は言わず、罪のない嘘をついておこうという場面は多々あります。
しかし、そのあとで一人になると、つい本音を言ってしまう。
夫「悪かったねえ、遅くなっちゃって」
私「そんなこといいのよ。仕事忙しかった? お疲れ様でした」
なんて良い妻なのだろうと、自己陶酔で目がくらんだ。
そして、その直後に一人になった時、「そんなもん、悪いに決まってんだろ、何時だと思ってんの」という独り言。これが大きい声なもんで、相方に聞こえちゃったんです。
我ながら困った話である。
私の決断「小さい声で話す」
数々の失敗を経て、「小さい声で話す」という一大決心をしました。
このスローガンを、トイレはもちろん、寝室、職場の部屋、玄関、台所、いたるところに貼って実行した結果、私は声が少し小さくなりました。ときどき、聞き返されるほどに。
これで家庭内も安泰。千客万来、商売繁盛です。(うちは商売はしていません)。
しかし…
先日、夫と話していたら私の声が聞こえないという。
「最近、オレ、耳が遠くなってきちゃったんだよね」
いったん、小さい声で話す習慣が形成されてしまったために、大きな声で話そうとすると、どうしても努力しなければいけません。
私「ありがとうね、ほんとに助かっちゃった」
夫「ごめん、聞こえなかった」
私「あーりーがーとーう、本当に、たーすーかった、わ!!」
夫「…そんなに怒鳴らんでも。なんか怒ってんの?」
かくして、私たち夫婦には永遠に平穏は訪れないのです。
チャンチャン。
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