今聴きたい! BLM の精神を支える10曲〜ジャズを中心に|ゴニョ研

2020年8月16日ジャズおすすめ

BLMを訴える曲を発表した音楽家たち

こんにちは
歴史を学ぼうと思って本を読み始めると、2,3ページで意識消失しているガッツかよめです。

BLM(Black Lives Matter:ブラック ライヴズ マター)。

2012年にフロリダ州で当時17歳だった黒人の少年トレイボン・マーティン氏が白人の警察官に射殺された事件に抗議して、SNS上で使われた言葉が発端と言われています。
ものすごくざっくり言うと、「黒人の生きる権利が大切」というような意味の言葉です。

2020年5月25日にミネアポリス近郊で、警察官の不適切な拘束方法によって、黒人男性ジョージ・フロイドさんが殺された事件がおきました。
以降、この言葉をスローガンに、改革を訴えるデモが各地で繰り広げられています。

私の大好きな音楽ジャズは、そもそも、アフリカから拉致され、アメリカで奴隷にさせられた人々の歌から生まれたという説があります。

ですから、私なりのBLM運動への参加表明として、今回は、ジャズの歴史の中で、差別と戦う人々を励ましてきた曲をよりすぐって、ご紹介したいと思います。

もちろん、音楽的にもとびきりの名曲・名演ぞろいです。

アラサー娘

アラサー娘

寝てないで勉強もしようね。
ガッツかよめ

ガッツかよめ

お互いにね。

BLMの精神を支えてきたジャズの名曲!

リフト・エヴリ・ヴォイス・アンド・シング(Lift Every Voice and Sing)

この曲は、教会では賛美歌として、学校では卒業式や入学式の式典の歌として、集会やデモでは応援歌として、100年以上ずっと歌い継がれたきた、“The Black National Anthem(黒の国家)" です。

そして式典ばかりでなく、黒人の子どもが寂しいときや辛いときにふと口ずさむ、そんな歌。

初めて公の場で歌われたのは、1900年2月12日、奴隷解放で知られるリンカーンの誕生日の式典でした。
しかし、ジム・クロウ法によって、未だ公共の施設や輸送機関での人種差別が法制化されていた時代です。

フロリダ州ジャクソンビルの学校の校長、ジェームズ・ウェルドン・ジョンソンは、人種差別との戦いの悲惨さを描きながらも、希望に満ちた詞を書き、その弟ジョン・ロザモンドが曲をつけました。

そして、ジェームズの学校の児童500人が合唱しました。

この頃のフロリダがどんなところかというと、こんなところです。

1910年から1940年に掛けての大移住期に4万人の黒人が人種差別、私刑および権利剥奪から逃れるために、フロリダ州から北部の都市に移住した。彼らは、仕事、子供達のためのより良い教育、選挙に参加できる機会などより良い暮らしを求めた。

「フロリダ州の歴史」(2017年9月18日 (月) 04:24 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

この曲を作曲したジェームズ・ウェルドン・ジョンソンは、後に、全米黒人地位向上協会/全国有色人種向上協会 (National Association for the Advancement of Colored People:NAACP) の幹部となりました。

さて、はつらつとした歌声を聴かせてくれるのは、Jazzmeia Horn (ジャズメイア・ホーン) です。
この曲の収められたアルバム “Social Call" は彼女のデビューアルバム。
2018年のグラミー賞にもノミネートされました。

抑制の効いた美しいピアノは Victor Gould (ビクター・グールド) です。

奇妙な果実(Strange Fruit)

作詞・作曲はルイス・アレンという教員。
アメリカ共産党党員で作詞・作曲家としても活動もしていた人です。

奇妙な果実とは、木に吊るされ、カラスについばまれる、リンチされた黒人の遺体です。

1939年に、この曲を大ヒットさせたのがビリー・ホリディ
『奇妙な果実』は彼女の代名詞になりました。

10代からハーレムのナイトクラブで歌い始め、徐々に名を挙げ、有名な楽団とも共演を重ねました。
が、白人バンドとの共演では、黒人であるがゆえに楽団員と同じホテルに泊まれない、裏口から入ることを要求されるなど、差別に苦しみました。

ビリー・ホリディの写真

未婚の母から生まれ、幼い頃から親戚をたらい回しにされ、施設に入れられ、虐待されて育ったビリー・ホリディ。

富や名声を得ても、薬やアルコールに慰めを求めざるをえなかった彼女の人生は、もし彼女の肌の色が白かったら、どう変わっていたのでしょうか?

フォーバス知事の寓話(Fables Of Faubus)

この曲で取り上げられたのは、リトルロック事件です。

1954年に公立学校での白人と黒人との分離教育が違憲となり、1957年、アーカンソー州のリトルロック・セントラル高校も融合教育を始めることになりました。
当時のアーカンソー州知事オーヴァル・フォーバスは、9名の黒人生徒が校内へ入ることを阻止するため、州兵を学校に送ったのです。意見を同じくする地元の白人の大群も加勢しました。

これに対し、アイゼンハワー大統領は連邦軍を送り込み、黒人生徒を護衛させました。

ジャズ・ベーシスト、チャールズ・ミンガスの独創性あふれる『フォーバス知事の寓話』は、彼の力強い演奏で、1959年にリリースされたアルバム “Mingus Ah Um (ミンガス・アー・アム) " に収められています。

自由になりたい(I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free)

この曲は、1960年代のアメリカの公民権運動のアンセム(シンボルとしての賛歌、応援歌)として、人々に愛されました。
公民権運動とは、正式にはアフリカ系アメリカ人公民権運動(African-American Civil Rights Movement)ですが、主に1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った運動です。

この曲はビリー・テイラーとディック・ダラスが書きました。

ビリー・テイラーは1921年生まれのジャズ・ピアニストで、20代後半でバードランドの専属ピアニストをつとめ、ここで、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、スタン・ゲッツなどと共演します。
その後、博士号をとったり、TVの音楽番組の黒人初の音楽監督になったり、芸術センターのジャズ芸術監督になったりしました。

教育者としても、ジャズの普及のための広報担当としても大活躍しました。

この曲は、親しみやすく躍動感にあふれ、ちょっとコミカルで、聴いた後に勇気が湧いてきます。

「自由であるとはどんな気持ちかを、知ることができたなら」

そんな叫びを、こんなに明るい曲に込めるビリーテイラーが大好きです。

アラサー娘

アラサー娘

詞は曲ができてから作ったんじゃね?
ガッツかよめ

ガッツかよめ

そうみたい…。

ジャズに限らず、ポップス、フォークなど、数え切れないほどのカバーがありますが、ぜひビリー・テイラーのピアノを、ソロも含めて聴いたいただきたい曲です。

ミシシッピゴッダム(Mississippi Goddam)

実は、先ほどの “I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free" は、ニーナ・シモンのカバーの方が本家より知られています。

ニーナ・シモンは、ジャズ歌手・ピアニストとしてのみでなく、公民権活動家としても知られ、多くのプロテスト・ソングを書きました。
が、それがゆえに彼女は音楽業界から閉め出されて行ったのです。

このミシシッピ・ゴッダムは、1963年に起こった2つの黒人殺害事件に対するニーナ・シモンの怒りをぶちまけた曲です。
その一つは、公民権運動家メドガー・エヴァースが、ミシシッピの自宅前で白人至上主義者に射殺された事件です。
もう1つは、アラバマ州北部のバーミンガムで、公民権運動の拠点となっていた教会にダイナマイトが仕掛けられ、日曜学校にきていた4人の少女が命を落とした事件です。

この曲は、1964年にアルバム “Nina Simone in Concert" でリリースされました。

ニーナ・シモンは、その歌とピアノで常に自分を偽らない表現を追求し続け、音楽のジャンルを超越した独自の世界を作り上げ、多くのミュージシャンに多大な影響を与えました。

先ほどご紹介したジャズメイア・ホーンも間違いなくその1人。

ニーナ・シモンはその肌の色ゆえに鍛えられ、奮い立ち、唯一無二の音楽を作り上げました。

ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(A Change Is Gonna Come)

牧師の父親を持ち、幼い頃から聖歌隊で歌い、ゴスペル界の貴公子としてデビューしたサム・クック
1957年、26歳で「ユー・センド・ミー」が大ヒットとなり、ソウル/R&B界でもスターになります。
1957年といえば、先ほどご紹介した『フォーバス知事の寓話』で風刺された、リトルロック事件勃発の年。
そんな時代背景の中で、サム・クックは白人にも支持されました。
彼が黒人の権利を主張しない大人しい音楽家だったから?
いいえ、熱心な公民権運動家としても知られ、マルコムX とも親交があった彼のプロテストソングが、この “A Change Is Gonna Come" です。
生前は彼の白人人気への配慮からかリリースされず、死後の大ヒットとなりました。
ソフトな歌声や端正なルックスを、彼の白人人気の理由にする説は、私には納得がいきません。
人種を超えて人を魅了する、キャッチーだけれど深いソングライティングが一番の理由だと私は思うのです。
例え、サム・クックが天才的な商才で、歌い方で白人受けも狙っていたとしても、それは変わりません。
ジャズ・トランペッター、ロイ・ハーグローヴを始め、ジャンルを問わずさまざまな音楽家にカバーされている彼のたくさんの曲が、それを証明しています。

“A Change Is Gonna Come" は、アメリカ中が知る大スターとなっても、ホテルで宿泊を拒否されたことに抗議した罪で逮捕された彼の心の歌として作られ、ヒット当初は公民権運動の推進力となり、今や世界中の多くの人の心の歌になりました。

リスペクト(Respect)

オーティス・レディング(Otis Redding)によって最初にリリースされましが、1967年にアレサ・フランクリンがカバーしました。
オーティスのバージョンは、夫が妻に対して帰ってきたら大事にして欲しいと歌うものです。
アレサは、これを女性の側から、夫からの “respect" が欲しいと歌い、女性の共感を得て大ヒット。
同じ1967年にアレサが歌いヒットした、“A Natural Woman" とともに公民権運動の賛歌となり、多くの女性に勇気を与えました。

プレシャス・ロード(Precious Lord, Take My Hand)


詞はThomas A. Dorseyが、曲は George Nelson Allen が書きました。
この曲は、公民権運動に最も大きな影響を与えたキング牧師のお気に入りでした。
キング牧師を、活動家としてのみでなく、夫や父親としても、深く力強く描いた映画が、“SELMA"(邦題は「グローリー -明日への行進-」)です。

映画の中で、この曲が歌われるシーンはとても印象的でした。
キング牧師は真夜中にマへリア・ジャクソンに電話し、“Precious Lord, Take My Hand" を歌ってもらうのです。

同胞を指揮し、鼓舞し、運動中に命を落とした者の遺族に寄り添い、大統領と交渉する、そんな昼間の彼とは、別人のような真夜中のキング牧師。
政府の妨害、家族を標的にした脅迫、不安に涙する妻…。
1人ソファに横たわり、渦巻く思いで眠れない彼を慰めたのは、マヘリアの歌声だったのです。

映画の中で描かれるのは、1965年に行われたセルマからモンゴメリへのデモ行進ですが、この2年前には、もっと大規模なデモが行われました。

ワシントン大行進の大群衆の写真

ワシントン大行進です。
キング牧師の呼びかけで、人種差別や人種隔離の撤廃を求める20万人以上の人々がワシントン記念塔広場に集まりました。

ワシントン大行進の写真

この時の彼の “I Have a Dream" の演説は、多くの人の心を打ち、南アフリカのアパルトヘイト反対運動や、植民地統治下に置かれていたアフリカやアジアにおける独立運動にも大きな影響を与えました。
そのごく一部をご紹介します。
全文も引用元のリンクから読めます。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

「私には夢がある」(1963年),米国の歴史と民主主義の基本文書,国務省出版物,AMERICAN CENTER JAPAN

この演説の前半、原稿どおりのスピーチをするキング牧師にマヘリア・ジャクソンが、「夢の話をして」と声をかけ、そこから “I Have a Dream" が繰り返されるスピーチに変わったのです。

この曲は、キング牧師の葬儀でも歌われました。

ハッピー・バースデイ(Happy Birthday)

そのキング牧師の死後に、彼の誕生日を祝日にする法案が提出されましたが、5票不足で可決されませんでした。
スティーヴィー・ワンダーは “Happy Birthday" を、キング牧師の誕生日を祝日にするための運動のキャンペーンソングとして作ったのです。
翌年の1980年にリリースされたアルバム “Hotter Than July" に収録されました。
シングルカットされたこの曲は大ヒットし、キング牧師記念日(Martin Luther King Jr. Day、別名マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの日) が、アメリカ合衆国の国民の祝日となったのです。

自由への賛歌(Hymn To Freedom)

カナダ出身のジャズピアニスト、オスカー・ピーターソンが、キング牧師の活動にインスパイアされて作曲したのが、この “Hymn To Freedom" です。
1963年にリリースされた彼のトリオのアルバム “Night Train(ナイト・トレイン)" に収録されました。
ご存知オスカー・ピーターソン・トリオは、ベースは Ray Brown(レイ・ブラウン)、ドラムは Ed Thigpen(エド・シグペン)。
この曲のすばらしさは、言葉では説明できません。
ただ、聴いてください。

BLMの精神を訴えたミュージシャンはたくさんいた!

BLMを訴える曲を発表した音楽家たち

BLM(Black Lives Matter:ブラック ライブズ マター)は、人種差別反対というメッセージにも使われます。
考えるまでもなく、公民権運動が繰り広げられる前から、ジャズに限らず黒人ミュージシャンは、差別と戦ってきました。
直接的に音楽に差別反対の意を込めなかったジャズ・ミュージシャンも、常にBLMを訴えていたはずです。
例えば、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ディジー・ガレスピー、マイルス・ディビス…。
セルマからモンゴメリへの行進に参加した、ハリー・ベラフォンテ、レナード・バーンスタインや、サミー・デイヴィス.Jr、トニー・ベネット。
そして、ハリー・ベラフォンテは公民権運動中に投獄されたキング牧師の保釈金も払いました。

ひるがえって私も日本人として、BLMをどう受け止め、何をすべきか、考え続けるべきだと思っています。
日本は単一民族国家だから人種差別とは関係ないという人がいますが、そうでしょうか?
さかのぼれば先住民であるアイヌ人を迫害した歴史がありますし、現在でも韓国、朝鮮、ブラジルなど、多くの国の人が日本に住んでいます。
また最近では介護の人材を東南アジアの国々から確保しようという動きも盛んですね。

グローバル化が進む世の中で、民族・人種の壁を越えて、誰もが人として尊重される環境が、どこの国でも得られるのが理想ではないか、と私は思います。
そのためには、人種や性や職業や地位や外観にとらわれず、フラットな心で、人と接することができるようになりたいと思うのです。

アラサー娘

アラサー娘

寝ないで書けたね!
ガッツかよめ

ガッツかよめ

資料読みながらの寝落ちは数知れず…。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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