ジャズの起源・楽しく聴くだけでサルでも分かる!|ゴニョ研

2019年5月20日ジャズおすすめ

ルイ・アームストロングのジャズバンドの写真
By Manfred SelchowThe original uploader was Rx7 3rotors at Wikipedia. – Transferred from en.wikipedia to Commons by FastilyClone using MTC!., GFDL, Link
The size of the photo has been changed from 705 x 503 to 1480 x 1109.

ジャズが大好き!

でもジャズってどうやって生まれたんだろう?

どんな音楽が、いつ、どんな風に混ざり合ってジャズになっていったの?

そんな疑問を持ったので、ちょっと調べてみました。

ジャズの起源を、たくさんの曲をご紹介しながら分かりやすく解説します。

ジャズの起源はアフリカとヨーロッパにあり!

ジャズは、19世紀の終わり(1890年代)から20世紀のあたまへかけて、ニューオリンズなどアメリカ南部の都市を舞台に、そこに暮らす黒人たちの手で、徐々に形を整えていきました。そのきっかけをつくったのは、アフリカとヨーロッパというまったく毛色のちがう異文化の出会いでした。

―新書で入門―ジャズの歴史、相倉久人 著、2章ジャズ誕生への道のり、冒頭

相倉久人氏によれば、ジャズ誕生の遠因は、アメリカを舞台にした、アフリカの文化とヨーロッパの文化の出会い。

その担い手は、主に、アフリカから奴隷として、ヨーロッパの国々の植民地であったアメリカに連れてこられた人々や、その子孫と言えるでしょう。

つまり、ジャズは、アフリカの人々やその子孫が、アメリカに根付いたヨーロッパの文化を取り入れながら形成していった音楽なのです。

だから、ジャズにはいろいろな音楽のエッセンスが含まれています。

  • アフリカのリズム
  • 労働歌
  • 黒人霊歌
  • マーチングバンド
  • ブルース
  • ラグタイム

では、一つずつ音楽を聴きながら、ご紹介していきます。

ジャズの起源1:西アフリカの伝統音楽

アフリカ人奴隷がアメリカに初めて連れてこられたのは、1619年と言われています。
当時アメリカは、フランスやイギリスの植民地でした。

さらわれ、船に乗せられたアフリカの人々。

Rugendas - Nègres a fond de cale.jpg
By Johann Moritz Rugendas –
New York Public Library Digital Gallery, Public Domain, Link

もちろん、彼らの故郷には脈々と受け継がれた文化や、素晴らしい音楽がありました。

ジャズに特に影響を与えたのは、主に西アフリカの音楽だという説があります。

西アフリカの伝統音楽を今に伝える演奏家をご紹介しましょう。

ジャンベという伝統的な打楽器を世界に紹介し、普及させた功労者、ギニア出身のママディ・ケイタ(Mamady Keita)のアルバムから。

Djembe2.jpg
By
Bully1, CC BY-SA 3.0, link

これがジャンベ。

ママディ・ケイタのリズムには、ジャズのエッセンスが感じ取れます。

また、現代の音楽に伝統楽器を取り入れている演奏者もいます。

この美しい曲を歌っているのは Sona Jobarteh (ソナ・ジョバーテ)。
西アフリカの伝統楽器を継承する家系「グリオー(griot)」の生まれです。
グリオーはコラ、バラフォン、ンゴ二など、単一の楽器を世襲制(せしゅうせい)で受け継ぎます。
グリオーの本来の役割は、歴史や教訓や遠方の情報などを歌にのせて伝えること。
文字のない時代、グリオーの役割は重要でした。

ソナ・ジョバーテは、コラの名手。
上の動画の中では、3分13秒と3分43秒で彼女が演奏している弦楽器がコラです。

Kora DSC 0355.JPG
By KannanShanmugamstudio,Main Road,Kollam投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

この動画には、他にもたくさん伝統楽器が出てきます。
そして、動画に出てくるアフリカの人々のリズムのノリの素晴らしいこと!!

ステップにさえジャズの源流が感じられます。

もちろん、当時彼らが伝統楽器をアメリカに持ち込めるわけはありません。
周りの日用品や木などを叩いて、躍動的なリズムを刻んでいたことでしょう。

ジャズの起源2:労働歌

奴隷としての労働は厳しく辛いものが多く、彼らは歌で自らを励ましたのでしょう。

労働歌は2つに分類されます。

集団で息を合わせて労働する際に歌われたものをワークソングといいます。
例えば、こんな感じですね。

一方、労働時に即興的に1人で歌われたものをフィールド・ハラー(field holler)といいます。

私が料理しながら歌うのは、フィールド・ハラーだったんですね。

夫ポンポン

夫ポンポン

雄叫びかと思ってました。

ジャズの起源3:黒人霊歌

アフリカ人が奴隷としてアメリカに運ばれた当初、奴隷主はヨーロッパの富裕層。

広大な農園を持つ裕福な奴隷主は、祖国の文化をアメリカに持ち込み、次の世代にも受け継ごうとしました。
当然、宗教も。

やがて奴隷たちの間にもキリスト教が広まり、彼らも独自の宗教的な歌を歌うようになりました。
それが黒人霊歌です。

その後、アメリカは1776年に独立し、1862年にはリンカーンによって、奴隷解放が命じられました。

歌うことによって黒人霊歌を広めたのは、フィスク・ジュビリー・シンガーズである。テネシー州ナッシュビルのフィスク大学(1860年創立された黒人大学)で大学の資金調達のために白人の音楽教師ジョージ・L・ホワイトの指導のもとに結成されたこのグループは、西洋風の声楽の訓練を受けた9名の黒人学生(うち1名はピアニストを兼ねる)からなる合唱団(ダブル・カルテット)である。1871年から北部(中西部・東部)・イギリス・ヨーロッパ大陸を巡業し、ホワイト・ハウスやビクトリア女王の前でも公演し、一旦解散する1878年までに総額15万ドルの収益をあげた。

「黒人霊歌とその起源論争」、桜井雅人著、一橋論叢, 109(3):p 322、1993

西洋的な和音や音階が取り入れられた黒人の音楽という意味では、この曲もジャズの源流と言えるかもしれません。

でも、黒人霊歌だと知らなくても、誰しも一度は耳にしたことがある曲があります。

「聖者の行進」(せいじゃのこうしん、When The Saints Go Marching In)です。

この曲が、ジャズ発祥の地と言われるニューオリンズで、葬儀の音楽隊のレパートリーになったのは20世紀初頭のことです。

DrummersBarkerFuneral.jpg
By Photo by Infrogmation of New Orleans – Photo by Infrogmation of New Orleans, CC BY-SA 2.5, Link

現在では黒人音楽家の葬儀でよく見られる音楽隊のパレード。
墓地へ行く時には悲しみに満ちた曲を演奏し、墓地からの帰りには明るいリズミカルな曲を演奏するのが伝統です。

そして、この「聖者の行進」はもちろん墓地からの帰路に演奏されました。

このルイ・アームストロングの歌と演奏は、完璧にジャズですね。

かなり最近の録音ですが、1900年代初頭には、もっと違ったスタイルで演奏されていたのでしょう。

さて、この演奏や上の写真から、何か思い出しませんか?

そう、この楽器編成はマーチングバンドですね。

ジャズの起源4:マーチングバンド

マーチングバンドの原型は16世紀のヨーロッパにあり、軍隊の合図として使われていたようです。

その後も戦争とともに発展したマーチングバンド。
飛躍的な発展を遂げたのは、18〜19世紀。
管楽器の開発が進み、戦時の士気高揚や将兵の団結に活用されました。

アメリカでは19〜20世紀に、軍隊のみならず学校や施設でも吹奏楽団が結成され、吹奏楽が盛んになりました。

A&T Band in 1915.png
By North Carolina Agricultural and Technical State University –
http://library.digitalnc.org/cdm/ref/collection/yearbooks/id/8437, Public Domain, Link

1865年、南北戦争が終わり、南部の貿易の拠点であるニューオリンズには、元南軍の軍楽隊の楽器が大量に出回りました。

それまでは、手製の楽器などを街頭で演奏していた奴隷たちが、南軍払い下げの洋楽器を演奏するようになったのです。

旧軍隊の払い下げですから、手にした楽器はコルネット、トロンボーン、テューバ、クラリネット、肩かけ式のドラムにシンバルといったブラスバンドの定番です。

―新書で入門―ジャズの歴史、相倉久人 著、2章ジャズ誕生への道のり

改めて、ニューオリンズのお葬式の曲を聴いてみましょう。
きっと、これはお墓へ向かう時の曲です。

では、今度は動画で見てみましょう。
これは、2018年に亡くなったニューオリンズ出身のビジネスマン、トム・ベンソンさんのお葬式です。

再生ボタンをクリックした後に表示される 「YouTube で見る」 をクリックしてください。すると新しいタブで YouTube が立ち上がるので、そこで再生してご覧くださいね。

2分10秒から、楽団の演奏がフィーチャーされています。

私は、つねづね葬式なんてしなくていいと家族に言っているんですが、こんな音楽隊に演奏してもらえるなら、お葬式してもらいたいなあと思います。

でも墓地からの帰り道、ずっと楽隊について歩かなければならない、なんてなったら娘に叱られそう。

アラサー娘

アラサー娘

死んでからも手が掛かるなんて、いい加減にしろよ!

そうそう、話をジャズに戻します。
この「聖者の行進」は、作詞者・作曲者ともに不明です。

誰かが思いついたメロディを歌い、それを覚えた人が少しずつ変えながら歌い継いでいった。

ある時、誰かが楽器で演奏し、それに合わせて他の楽器も伴奏した。

そんな過程を想像します。

これこそがジャズです。

ジャズの起源5:ブルース

先にご紹介した労働歌は、黒人霊歌の影響を受けつつ発展します。
無伴奏で、作業中に口ずさまれる短いフレーズだった労働歌。
それが、孤独や悲しみなどの感情を詩に託し、ギターなどの楽器で伴奏をし、曲としての構成を持つものになります。

それがブルース

ブルースは基本的には12小節でコード進行もほぼ決まっています。
リズムもシャッフルという跳ねるリズムが定番。

19世紀後半ごろに派生したと言われているブルース。
初のブルースの録音は1920年です。

1920年、メイミー・スミスがオーケー・レーベルに初レコーディング。これがブルースのレコーディングとしては初と言われている。彼女の”Crazy Blues”は、初年度75,000枚を売り上げるヒットを記録した。

ウィキペディア フリー百科事典、日本語版、「ブルース」、最終更新 2019年5月1日 (水) 03:55 (UTC)

このブルースは、私の持っているブルースのイメージとはかなり遠いものです。

こちらの方が近い。

この曲は、デルタ・ブルースの歌手、ロバート・ジョンソンの代表曲、”Cross Road Blues” です。
1937年に発表された “King of The Delta Blues Singers” に収録。
ロバート・ジョンソンは、エリック・クラプトンを始め、ブルースやロックの音楽家に多大な影響を与えています。

デルタ・ブルースはミシシッピ川流域で発生した初期のブルース。
人生の苦しみを吐き出すような曲調が、まさにブルースですね。

ブルースとジャズの関係

ブルースが変化してジャズになったというわけではありません。

ブルースというジャンルは、曲調や楽器編成は変化しつつも、現在まで基本的な特徴を維持し、新しい曲も作られています。

その一方で、ブルースの曲の構成やコード進行は、ジャズに取り入れられました。

アート・ブレーキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの名演で知られる「モーニン(moanin’)」も、ブルースの特徴を持った曲です。

このようにブルースの特徴を持ったジャズ・スタンダードは多く、現在でも演奏され続けています。

ジャズの起源6:ラグタイム

クレオールはジャズ発祥の起爆剤

ニューオリンズは、フランスの統治が長く、フランス人によって設立された町です。

またニューオリンズは、18〜19世紀にかけて南部一の貿易港としてにぎわいました。
多くの人が移住し交わる中で、黒人と白人の混血である「クレオール」が独特の文化を生み出すようになるのです。

クレオールは南北戦争以前には、黒人に比し優遇されました。
商いを許され、教育の機会も与えられたのです。
西洋的な音楽を学び、音楽家になるクレオールも現れました。

ものすごくラテンだけど、クラッシックなんですね。
私、この曲、大好きです。
この曲を作曲したのは、1829年にニューオリンズで生まれた作曲家ルイス・モロー・ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk)。
彼の出自が興味深いんですね。

家族はクレオール人街に居住しており、祖母ビュレー(Buslé)と乳母サリー(Sally)はクレオールだった。父親はイギリス出身のユダヤ人であるが、ハーヴァード大学に学んだ商人である。

「ルイス・モロー・ゴットシャルク」、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』日本語版、最終更新2018年5月29日 (火) 16:07

ところが南北戦争後に奴隷解放宣言が出され、その後1876年にジム・クロウ法が成立します。
ジム・クロウ法は、「黒人の血が1滴でも混じっていれば黒人とみなす」としたのです。
こうしてクレオールは家業や公職などを失うこととなり、音楽を演奏したり教えたりして暮らしの足しにするクレオールが多く現れました。
西洋音楽を身につけ、楽譜も読み書きできるクレオールが、ジャズ発祥の起爆剤になったのです。

後で詳しくご紹介するラグタイム。
このラグタイムの人気ピアニストで作曲家でもある、ジェリー・ロール・モートンも、クレオール人街の出身です。

ジャズが生まれた場所は「ストーリーヴィル」

ニューオリンズには、「ストーリーヴィル」と呼ばれる、娼館の経営を容認された区画もできました。

CanalStoryvillePostcard.jpg
By None credited. – Postcard published by B. Mason, New Orleans, La. Scanned by Infrogmation, Public Domain, Link

ここが、それまで冠婚葬祭の場や街角で演奏していた音楽家たちの、新しい職場になったのです。

演奏された音楽のタイプはさまざまでした。なかには弦楽四重奏が優雅なムードをかもしだしていた店もあるようですが、ジャズにつながるものとして最初に登場したのはラグタイム・ピアニストでした。

―新書で入門―ジャズの歴史、相倉久人 著、3章ニューオリンズからシカゴへ

大ヒットした「メイプルリーフ・ラグ」の作曲で知られる、スコット・ジョプリン
彼はラグタイム王と呼ばれますが、元はクラッシックのピアニスト・作曲家を目指して勉強していました。
大ヒットといっても、売れたのは楽譜。

だから彼の楽譜で「弾いてみた」ができるんですね。

このカントリーミュージシャンのような男性は、バッハの研究者でもあるピアニストのようです。

さて、ジョプリンはアフリカ系アメリカ人。

スコット・ジョプリンの写真

貧しい家庭に生まれました。
しかし教育熱心な両親が幼い彼の音楽的な才能を見出し、ピアノを買い与え、音楽を習わせたのです。

ジョプリンは10代からサロンなどでの演奏を始め、クラッシックの音楽家を目指し、黒人のための大学で音楽を学びました。

そして、彼はヨーロッパのクラッシック音楽とアフリカ系アメリカ人としてのリズムやハーモニーを融合しようと考えたのです。

それが、マーチのようなリズムと、シンコペーションを多用したメロディが特徴であるラグタイム

シンコペーションというのは、リズムの強拍と弱拍のパターンを変えて変化をもたらす手法なんです。

ラグタイムには跳ねているような躍動感があるでしょう?
それは、一つにはシンコペーションが多用されているからなんですね。

これは、おなじみの映画『スティング』のテーマ曲、The Entertainer(ジ・エンターテイナー)
これもジョプリンの作品です。

ジョプリンは、ラグタイムで、まさに、ジャズの扉を開けたのです。

しかし、ラグタイムは、楽譜に忠実に演奏する音楽でした。

1910年代にはジャズが録音された!

18世紀末には、録音技術が開発され、1910年には、アメリカでも数々の録音が行われるようになりました。

ピアニストでオーケストラも指揮しオルガン奏者でもあったチャールズ・A・プリンスの楽団の演奏を聴いてみましょう。

彼は、黒人で初めてジャズを録音した人とも言われています。

これぞジャズの誕生!ルイ・アームストロング登場!

さて、18世紀後半から19世紀にかけて、ニューオリンズで盛んに演奏されたブラスバンド。

初期の楽器構成は、コルネット(後にトランペット)、トロンボーン、クラリネット、テューバ、それにドラム、バンジョーといったあたりが普通でした。

―新書で入門―ジャズの歴史、相倉久人 著、3章ニューオリンズからシカゴへ

ラグタイムピアノが人気を博すと、これまでブラスバンドに加わることがなかったピアノが、バンドに加えられるようになりました。

ジャズ・キングと呼ばれた、バディ・ボールデン、フレディ・ケパード、キング・オリヴァーはいずれもコルネット奏者。

中でもキング・オリヴァーは、1910年代、最もホットだと言われました。

かのルイ・アームストロングを見出し、生涯ルイに敬愛され「パパ・ジョー」と呼ばれた人です。

この録音は、1920年代のオリヴァーのバンドで、King Oliver and his Creole Jazz Band(キング・オリヴァー・アンド・ヒズ・クレオール・ジャズ・バンド)。

このジャケット写真で、手前の中央でトランペットを構えているのが、ルイ・アームストロング。
正面奥にいるのが、キング・オリヴァー。
ちなみにピアノはリル・ハーディンで、彼女は後にルイの妻になります。

この録音では、ソロで即興演奏をするのではなく、集団で即興演奏をしています。

よく聴いていると、クラリネットでの主旋律の演奏の後の合奏がそれかなあと思います。

さらによく聴いていると、「おそらくこれがルイの音」っていうのも分かるような気がします。

もう、リズムのノリも、楽器の構成も、曲の構成も、私たちのよく知る「ジャズのイメージ」。

この後、ルイの登場によって、ジャズは集団的即興演奏から、アドリブソロへと移行していくのです。

が、それについては、またの機会にぜひお話ししたいと思います。

ジャズの起源・まとめ〜ジャズは変わり続ける

ジャズが生まれた経緯は複雑だけれど、奥深く興味深いものでした。

山の景色の写真

ジャズの源流の担い手である、アフリカから連れてこられた奴隷たちは、自分たちの文化も奪われ、言葉も分からず、辛い労働を課されました。

残された自己表現が歌ったり踊ったりすることだったのかもしれません。

歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするときは、彼らは自由だった。

アメリカに根付いたヨーロッパの文化と、奴隷として連れてこられた人々の持ち込んだアフリカの文化。

この2つが融合し、故郷への思いや未来への希望などを託す音楽として花開いたのが、ジャズだとは言えないでしょうか?

花が開くところの写真

アフリカのリズムを根底に、労働歌や黒人霊歌が生まれ、それがブルースになった。

そして、マーチングバンドのリズムや楽器構成、ブルースやラグタイムの要素が取り入れられ、そして、ジャズになっていった。

ちなみに、そもそもジャズって何なの?って方は、ぜひ、ジャズとは何か?楽しく音楽を聴くだけでサルでもわかる!へ。

現代のジャズ・キング、ウィントン・マルサリスが、キング・オリバーに捧げた “In The Court of King Oliver” を聴きながら、お別れにしたいと思います。

この曲が収録されている “Standard Time, Vol. 3: The Resolution of Romance” をウィントンの魅力を徹底研究してご紹介している記事ウィントン・マルサリス スタンダードタイム Vol.3もありますので、よろしかったら、ぜひ。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。