ロマンチックすぎるジャズ “Scenes from a Dream” / Chris Minh Doky
クリス・ミン・ドーキー|坂本龍一が惚れ込んだベーシスト!
今回ご紹介するのは、ジャズ・ポップス・ロックなど幅広いジャンルで活躍し、テナー・サックスの第一人者マイケル・ブレッカー・カルテットの最後のメンバーとして重責を担ったベーシスト、クリス・ミン・ドーキーが、ストリングスをバックにひたすら美しい楽曲を披露するアルバムです。彼はエレキベースでもウッドベースでも、メロデイでもベースラインでも、彼が演奏し始めた途端に曲に新たな息吹が吹きこまれるような、そんなベーシストです。
クリス・ミン・ドーキーは1969年デンマーク生まれ。ベトナム人とデンマーク人のハーフです。兄のニルス・ラン・ドーキーはジャズピアニスト。クリスの共演歴は華々しく、ジャズフュージョン界を牽引するサックス奏者デビッド・サンボーンやギター少年を卒倒させるジャズギタリスト、マイク・スターンなど、多岐にわたりますが、クリスがまだ無名の頃、ニューヨークのライブハウスで彼の演奏を聴いた坂本龍一が間髪入れず彼を自己のバンドにスカウトしたという話があります。
私が彼の演奏を初めて聴いたのは、小曽根真トリオ。トリオはドラムがクラレンス・ペン(アフリカ系アメリカ人)でしたから、人種的には白黒黄色という3色団子のようなトリオでした。
大変失礼いたしました。このトリオでの彼の、強烈なビートを生むのにどこか暖かいベースラインや、ソロでは圧倒的にメロディアスで、そしてたいへん深みのある演奏に私は心を奪われました。
このアルバムは、彼の通算9枚目、2010年リリースのアルバムです。彼はエレクトリックでファンクバリバリの曲も作曲し演奏しますが、このアルバムでは、ファンキーは封印し、どの曲もクラッシック的な要素があり抒情的で、ストリングスとの共演にピッタリです。
で、お願いがあるのですが、1曲目を試聴してあまり好みでないなと思った方、是非4、7、9曲目を聴いてみてください。比較的親しみやすく、そして限りなく美しい旋律を味わっていただけると思います。
ではメンバーの御紹介
- Chris Minh Doky (クリス・ミン・ドーキー):ベース
- Rally Goldings (ラリー・ゴールディングス):ピアノ
- Peter Earskin (ピーター・アースキン):ドラム
- Vince Mendosza (ヴィンス・メンドーサ):指揮・編曲
- Metropole Orkest (メトロポール・オルケスト)
Chris Minh Doky があなたを夢の世界へ誘う!“Scenes from a Dream”
1. “The Cost of Living (ザ・コスト・オブ・リビング) ”
この曲はマイケル・ブレッカーの出世作となった “Michael Brecker ” に収められている曲です。作曲は、キーボード奏者として、ブレッカー・ブラザーズ(マイケル・ブレッカーが兄のトランぺッター、ランディ・ブレッカーと組んでいたバンド)やリンダ・ロンシュタットなどとの共演歴もあるドン・グローニック(Don Grolnick)。皆さんはきっと、そうとは知らず彼の演奏や、作曲やプロデュースした作品を聴いていると思います。クリスはこの曲を、マイケルと一緒に何度も演奏したのだそうです。そして、クリスはマイケルのことをメントーのような存在だったと言い、彼を思う時、いつもこの曲が聞こえてくるのだと言っています。
ストリングスとピアノの静かなイントロに続いてメロディーを奏でるのはもちろんクリスのベース。あまりにも立ち上がりが鋭く、くっきりと澄んだ音なので、ベースじゃなくてギターなのかと思うくらいです。ベースソロもピアノソロもピーター・アースキンの繊細すぎるシンバルプレイも、言いたいことがたくさんありますが、私が一番切なくなるのはストリングス。弦楽器が入ってくると涙腺が…。こんなに幻想的な世界を演出できるのは、メトロポール・オルケストとアレンジャーで指揮者のメンドーサの功績が大きいでしょう。
このオランダのオーケストラは世界で唯一、ポップスとジャズの分野を専門とするフルタイムで活動するオーケストラで、メンドーサが主任指揮者になってから、彼はオーケストラとともに何度もグラミー賞を受賞し、楽団は世界的に有名になりました。
2. “Arthos Ⅱ (アートス2号) ”
ピアノトリオでの演奏。この曲はクリスのオリジナル。ベトナム人医師の彼の父親は13歳の時に、たった一人で船でフランスに向かいました。その船は、引き上げるフランス外国人部隊兵でぎゅうぎゅう詰めでした。この話を父親から聞いたクリスは、月明りで照らされながら蒸気を上げて大海を静かに進む船を思い浮かべ、父の旅への想像を膨らませていたと言います。その船の名前がArthos Ⅱ (アートス2号) なのです。
それにしてもクリスのソロはなんとメロディアス。そしてベースラインを演奏している時も、もちろんだけれど、ソロの時も彼の演奏はリズムに満ち溢れているのです。大きな流れのフレーズや短い1音を弾く時でさえ、彼の感じ取っているビートがしっかりと聞こえてくるような演奏です。
終盤ではベースとピアノをバックにピーター・アースキンのドラムソロが繰り広げられます。緻密で繊細、ドラマーには珍しいくらいダイナミクスが豊かでピアニッシモ(ごく弱く)からクレッシェンド(だんだん強く)するフレーズには心を揺さぶられます。
3. “Fred Hviler Over Land Og By (町や村に平和が訪れ) ”
クリスのお母さんは彼が小さい頃、いつもデンマークの民謡を歌ってくれたのだそうです。この曲もデンマークの民謡で、クリスが女声合唱団とコラボレーションする活動の中で出会った曲とのこと。水墨画のようなストリングスをバックにダイナミックに繰り広げられるクリスのソロ。繊細でとても美しいのに力強い。ジャズへの熱い思いを抱いて18歳でデンマークから単身ニューヨークに渡り、食事にも困るような生活から、世界屈指のジャズベーシストになった彼の芸術家としての繊細さと強さが、秘められている曲です。
クリスの作曲家としての才能に脱帽!涙なしには聴けない“Rain”
4. “Rain (レイン) ”
この曲は、彼が坂本龍一のバンドの一員として、東京のホテルの48階の部屋に滞在した時に作られました。窓の下に広がる雨に濡れた大都会。超高層ホテルの足元には小さくて古い日本家屋が建っていて、まるで夢の中から現れたような建物でした。この曲はそんな情景から生まれました。激しく窓をたたく雨音をそのまま曲のリズムにしたそうです。クリスはそんな風に、生活の中のなにげない音も音楽的に聞こえるのかもしれません。
あまりに美しく、もの悲しい旋律に心を奪われます。ラリー・ゴールディングスのピアノが奏でる雨音は、目の前に雨にかすむ摩天楼を広げて見せてくれるようです。ここでのクリスのソロは雄弁で、珍しく冒頭から、まるで思いがあふれるかのように激しい動きのフレーズを畳み掛けます。ソロをとっている時でさえ彼のベースがリズムをリードしているかのような躍動感。ゴールディングスのピアノソロも抒情的で、バックに流れるストリングスとのバランスが絶妙で、後半、ストリングスと絡み合いながら印象的なフレーズでクレッシェンド(だんだん大きく)して彼のソロは幕を閉じ、せりあがるようにストリングスのテーマのメロディが始まります。なんとドラマチックでしょう? メンドーサの神業のアレンジとゴールディングスの表現力に拍手を送りたいです。
そして、注意して聴かないとわからないくらい繊細な音ですが、しかし心憎いほど効果的に、ピーター・アースキンのシンバルがより一層雨音を切なくさせます。できればよい音響装置で、そして静かな環境で、この曲のシンバルの音だけに注意して聴いていただきたいくらいです。
5. “All is Peace (オール・イズ・ピース) ”
どこか郷愁を誘うこの曲は、クリスの父親の祖国ベトナムの子守歌。パリ在住のベトナム人女性シンガー Huong Thanh(フン・タン)とギターのレジェンド、ニュエン・レによる演奏が 、 “Moon and Wind (ムーン・アンド・ウィンド) ”というアルバムに収録されており、クリスはこの曲をパリにいる親戚を訪れた時に聴き、魅せられのだそうです。そう聴くと、どうしてもオリジナルを聴きたくなってしまいました。で、見つけました。
郷愁を誘う、心の奥に染み込んでいくような原曲の雰囲気はそのままに、より幻想的で美しい世界を繰り広げるのがクリスのバージョンです。
アースキンのシンバルからゴールディングスのピアノ、クリスのベースで始まり、大半はトリオで演奏され、時折ストリングスがそっと風が吹くように入ってきます。目を閉じて音に身を任せていると、森の奥の静かな湖を小舟で進んでいるような、そんな気持ちになります。ゆったりとしたリズム、ソロのフレーズも演奏の仕方もすべて抑制が効いていて、限りなく穏やかな気持ちになります。
6. “Vienna Would (ヴィエナ・ウッド) ”
この曲のゴールディングスのピアノは、美しい詩を読むよう。ゴールディングスは、以前このブログでご紹介したジョーイ・デフランセスコが演奏しているハモンドオルガンB3の奏者としても有名です。ゴールディングスは、スティーブ・ガッド(超絶技巧で多くの信者を持つ教祖のようなドラマー)や、ジェイムス・テーラー(グラミー賞受賞やロックの殿堂入りを果たしている歌手・作曲家)との共演歴をもち、クリスのアルバムには必ずといっていいくらい参加している、技術的に高く繊細な表現にも秀でたピアニストです。この人のB3もまた格別です。
この曲はトリオのみで演奏される美しいワルツです。ゴールディングスのピアノ、ピーター・アースキンのシンバル、クリスのベースが、それ以上多くても少なくてもバランスが悪くなる、究極の音の調和を静かに生み出しています。この曲のベースソロは一転力強くエネルギーに満ちたもので、ソロの終わりからそのままクリスが力強くテーマを弾いて、ゴールディングスに交代するとソロで静かに歌い上げて終わる。うっとりするような演出です。
クリスとペデルセンを聴き比べ“ I Skovens Dybe Stille Ro ”
7. “I Skovens Dybe Stille Ro (深く静かな森の中で) ”
この曲は、クリスの祖国デンマークの民謡で、デンマーク出身のジャズ・ベーシスト、ニルス・へニング・オルスティド・ペデルセン(Niels-Henning Orsted Pedersen)に、長い間演奏されてきた曲です。ペデルセンはジャズピアノのレジェンド、オスカーピーターソンにも愛されたベーシストで、その目を見張るような早弾きの超絶技巧とメロディアスなソロとでジャズの演奏家に尊敬され続けましたが、2005年に58歳で亡くなりました。私も大好きなベーシストで、彼は目が飛び出るくらい上手いと思うのですが、この曲に関しては、クリスに軍配が上がります。皆さんはどうでしょう? ペデルセンも素晴らしいです。これは好みの問題ですね。こちらのデュオのお相手はケニー・ドリュー(ピアノ)です。
クリスはこの曲を、ベース界とジャズ界に偉大な功績を残したペデルセンへ敬意を込めて演奏したのです。私は何度聴いても泣いてしまって、もう解説できないくらい、このクリスのアレンジと演奏が好きです。
8. “Julio and Romiet (ジュリオ・アンド・ロミエット) ”
ビンス・メンドーサ作曲で、このタイトルはお遊びなんだそうです。クラッシックの名曲のような曲とアレンジなのに、アースキンのドラムもクリスのベースも全く違和感なく調和しているのが、とても不思議です。普通こういう編成だと、もっとジャズっぽさが前面に出るものだと思うのですが、まるでクラッシックの演奏の中にジャズが溶け込んでいるようです。後半、演奏時間でいうと2分50秒くらいからアースキンがタムという小太鼓を連続的に叩いているのですが、非常に洗練されていて、全く無理がなく、この曲にピッタリで驚きます。優れたジャズの音楽家というのは、どんな曲においても、その曲の中で自分の表現すべきものを瞬時にイメージできるんだなあと感心します。
9. “Dear Mom (かあさんへ) ”
アルツハイマーと診断され言語的なコミュニケーションが困難になったクリスとお母様の唯一のコミュニケーション手段は音楽。クリスが耳元で歌うとお母様は目を閉じて笑顔になるのです。この曲は、お母様がハミングしていた節で作った、彼からお母様への手紙なのだそうです。
私がアルツハイマーになったら娘は耳元で歌ってくれるでしょうか? 歌ってくれたとしても私は微笑むことができるでしょうか? このような美しい情景はやはり音楽の才能に恵まれた親子にしか許されないのだと思います。
冗談はさておき、私はこの曲も大好きです。親しみやすい美しいメロディーですがメジャーで始まるのにサビはさりげなくマイナーになっていて、そこがまたこの曲の美しさを引き立てています。ベースソロは限りなくメロディアスで、テーマとアドリブの境目がびっくりするほどスムーズで、どこがアドリブの終わりか分かりません。どうもクリスは、このようなアドリブとテーマの境目のはっきりしない、自然な流れというのを重視していたようです。いや、ひょっとすると私がわからんだけかもしれません。スンマセン…。
クリスは必ずやジャズ界を牽引する!! と私は思う
クリスを一番最近、生で見たのは、ランディ・ブレッカー(トランペット)、マイク・スターン(ギター)とともに来日した時でしたが、その時はバリバリのファンクでリズムが前面に出るような曲が多く、クリスがベースを弾き始めると途端にリズムがうねり、生き生きとしたビートが生まれることに、それはウキウキしたものです。
そんなクリスが、クラッシックの中にジャズが溶け込むようなこのアルバムを作ったことは、彼のルーツがクラッシックピアノであることを考えると、全く不思議ではありません。彼は幼い頃からピアノを学び地元のコンクールで賞を獲得していました。美しい旋律を生み出す能力も、きっと彼がクラッシックピアノを音楽の原点にしていることと関係があるのでしょう。
強烈なリズムを生み出すことにも抒情的にメロディを奏でることにも、両方に驚くほど長けているということは素晴らしいのですが、私が、彼が他の追随を許さない存在だと思う、一番の理由は、彼がそのどちらにおいても、彼独自の世界を繰り広げている点です。どちらも卒なくできる、という程度のことではなく、彼のベースの音が聴こえてきたら「ああこれはクリスだ」とわかる、強烈な個性がそこにあるのです。そして、それが、ジャコ・パストリアス(エレクトリック・ベースをメロディ楽器として世に知らしめた伝説のベーシスト)のようにベースを前面に押し出すものでなく、飽くまでリズム隊としてバンドを支える時でさえも、そして決して前面に出なくても、彼の音はバンドの音と溶け合いながらも強烈な光を放つのです。
ああ、クリスのサインを3つも持っている私。ちょっと熱が入りすぎました。お許しくださいませ。最後に一つだけ。実生活では私は色男は嫌いですが、クリスは驚くほどハンサムです。そこも大好き。
今回も長くなりました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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